Home匠日記2010年2010年12月水曜:中村博(綾城焼)
中村博

中村博

綾城焼

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たくみ君とアケミさん

2010年 12月 31日(金曜日) 10:37
①歳を経る度に時の経過に加速が付く。限られた時間。孤独な戦い。情熱の揺らぎ・・・。「今年も終りか・・・」②「否!弱気になってはいかん!」「こころざしの低い者が世の中を駄目にしておる!夢追う者よ、我に続け!!」③「先生、チャック全開っすよ」「あと削り溜ってます」④「うん」「今、やろうと思っ・・・」「コーヒーどうぞォ」

ぴーちゃんのハナシ

2010年 12月 29日(水曜日) 09:00
ayajo5オカメインコのぴーちゃん(♂)が教室のハシグチ君に連れられて工房にやって来たのはゴールデンウィーク頃だったろうか。
「いらっしゃいませ」とか。
「こんにちわ」「ありがとうございます」
「ぴーちゃんです」「また来てね♡」とか。
可愛い声で流暢にお喋りするぴーちゃんを工房のマスコット的存在にするが為、私とぴーちゃんの熾烈な特訓が始まった。
朝、ゲージに掛けてある布を外してやる。
そして、「オハヨー」「オハヨー」と話し掛ける。
その日課は暫く続いた。
しかし、ぴーちゃんは「ピョロピョロ」と首を傾げて鳴くばかり。
そればかりか、エサの粟の穂を替えてやろうかと私がゲージの前に立つと羽を広げて「シャーシャー」と威嚇する様になった。
確かに一向に喋ろうとしないぴーちゃんに「契約違反だ!」「このゴクツブシ!」「うるさいよ!!」とぴーちゃんを傷付ける暴力的な言葉を浴びせたのは私である。
しかし、県北のペットショップで放置状態だったぴーちゃんを大枚叩いて買い、養っているのはこの私なんである(涙)
2月末、ハーレーに乗って「雇ってちょんまげ」とブラリやって来たのを拾ってやったのにアケミさんは今日も機嫌が悪い。
皆、恩知らずだ(泣)
師走二十九日 中村博

辰砂(しんしゃ)貧乏、のハナシ

2010年 12月 22日(水曜日) 00:00
ayajo4私が好んで使う釉薬は、「辰砂」という極めて安定性を欠く薬である。
薬の比重、「責め」「寝らし」を含む窯の温度、配置等のバランスがバッチリの時、遊女の紅の様な何とも艶やかな赤を発色する、が、バランスが上手くいかなかった時、赤が控え目になり、紫や青、緑、白の星が飛散する。
これはこれで私は好ましく思っているが、ヒドイ時は赤黒く淀み、薬が垂れて焼き物が板にヘバリ付き、散々である。
「辰砂貧乏」の言葉の由縁である。
思うようにならない女の様で私を悩ませるが窯を開けた時、微笑む紅を見たくて私は辰砂の器を造り続けている。
師走二十二日 中村 博

茶器三昧、のハナシ

2010年 12月 15日(水曜日) 00:00
ある晩、友人の店で呑んでいたら、彼が言った。
「ヒロシさん、茶器、造らんや」
茶道は奥が深い。
当然使う器も深いのである。
思えば半ば義務的に日常雑器と取り組んで来た。
駆け出しの頃の喜びや感動も薄らいで、マンネリ化していたのは否めない。
針でポツンと突いた様な灯りだが、友人のひと言で見えて来た様な気がする。

ayajo3書棚の肥やしと化していた茶器の辞典を引っ張り出すと、それに首っぴきになった。
来る日も来る日も抹茶碗を造った。

むき出しになる高台部分の手触りを滑らかにする為、粒子の細かい粘土を特注し、土練機は敢えて使わず菊練りをした。何年振りの菊練りだろう。よいしょ、よいしょ、と練ってはふぅ~と脱力する私の様子を見て、ハシグチ君とアケミさんが笑った。
笑えば笑え、私は真剣だ。
茶道では人に恥をかかせない様にするのが常識なのだ。
親方がヘタっているのを笑うとは何事だ!ふん!だ。伝統文化は深いのだ。ロクロに残った粘土で花器、水差し、菓子器も造ってみる。薬は油滴天目(ゆてきてんもく)釉を成功させたい、と企んでいる。

師走十五日 中村 博

工房の一日、のハナシ

2010年 12月 08日(水曜日) 00:00
はろう。アケミです。今日は工房の一日の流れを紹介するよん。

繁忙期でなければ8時前後に出勤。
汚すだけ散らかすだけの親方とハシグチ君に毒づきながら掃きソウジ、拭きソウジ。
ロクロ周りと道具の手入れは念入りに。
タタラ板、ダンゴ、ロクロ用粘土のチェック、足らなければ仕込み。

そうこうしている内に親方出勤、コーヒーしながら軽いミーティングをします。
ここまでの流れは朝イチで予約客が入ったり、窯の火入れ日だったりするとまた変わって来ますケドね。

室(ムロ)のチェック。乾燥が進み過ぎていたら霧を吹いたり、発砲の箱に移したりします。
手びねりの品があれば底の仕上げとネーム入れをします。
ロクロ分の削り高台は親方の仕事でしたが私も勉強を始めましたよん。

今、親方は抹茶碗造りに夢中。それを尻目に洗濯(天気に依る)、粘土干し、棚板洗い(天気に依る)etc
火入れが近ければ一緒に窯詰めもします。
フリーのお客様が入る場合、手びねりは私が、ロクロは親方が指導します。
17時の閉館前に売り上げの締めと釣り銭のチェック、それでおヒラキ。こんなもんかな。
今、板で豆皿造ってます。どんな仕上げにしようかな?

師走八日 村上 アケミ

喜びも哀しみも幾歳月、のハナシ

2010年 12月 01日(水曜日) 00:00
中村博故、川村先生の元で焼物を学んでいた私だったが国際クラフトの城建立の際、織・染め・陶芸の指導者を町が探している、と言う事で任命を受け「綾城焼窯元」を開いて二十六年余、あの頃はまだ今風に言うとアラフォー前で私はピチピチの兄ちゃんだった。

窯の火入れが月に七回も八回もあり泊り込みで残務に当たった頃もあった。
自分の勉強や制作など全く出来ない状態である。

兎に角、目の前にある業務を片付けるのに懸命で何も考える余裕など無いまま過ぎた歳月である。気がつけば陶芸体験に来たちびっ子達に「オジちゃん、オジちゃん」と呼ばれる様にになり、自慢の口ひげが白っぽくなっていった。小さかった娘達も皆嫁ぎ、今や孫六人である。歳を経る筈だ。

満心する事のあってはならない一生勉強の道。
私は歩いて行こう。
死ぬ時が私の勉強の終焉であろう。

師走一日 中村 博