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2011年02月
2011年 2月 28日(月曜日) 09:00
綾町工芸コミュニティ協議会の方より、2月の曜日毎のブログ紹介をお願いしますと電話がありました。
各会員の方々も担当されるとの事でしたがネットの操作すら苦手な私です。
「どうしよう」と大変戸惑いました。
(ネットは家内に全て頼り切ってまして...)
協議会の方はどんな内容のブログでも構いませんとの事でしたが....
どの様な内容をブログに書いたらよいのか大変迷いました。
折角の依頼ですので頑張って「綾の事」でもブログに書いてみようかと、はらはらどきどきしながらも気持ちよく引き受ける事にしました。
(私のモットーは、必ず何とかしますのYESの精神で今日まで至っておりますので。)
永く永く忘れる位、日記など書く事のなかった自分にとっては難問題でした。
その後、私の聞き違いだったでしょうか?妻よりの話しでは2月中に4回のブログ掲載だったとの事でした。
ブログなど全く縁のなかった私にとっては「困った、困った」の連続でプレッシャーでありました。
責任逃れしては申し訳ない何とかなるだろうの精神でお引き受けしました。
(係の方の誠実で真剣な気持ちが伝わりました)
そして第一回目のブログは「綾の事」、第2回目のブログは「綾の工芸をどげんかせんといかん」、第3回目では私共の年間イベントの紹介でした。
そして第4回目は「思うがままに」と題して...

CIMG2909屋久杉との仕事の付き合いは、かれこれ35年位になります。
現在も卸業の方が店売りより比重が高くあります。
まあまあ元気で今日迄商いができるのも振り返りますと、お得意さんとの「信用」そして「責任」の二文字そのものであった様な気が致します。
20年から30年と長い長いお付き合いが続いておりますお得意さんもあります。
「広げずそしていつまでも深い絆で」をモットーにお付き合いをさせて頂いております。
作品(商品)のアフターなど大変厳しい業界でしていつでも早急な対応「責任感」が強く求められます。
最近では作品をお得意さんへメールする事が多くなりました。
一品一品と作品が違いますが「信用」のみで買って頂いております。
(お得意さんが本当に買ってよかったと思っているのだろうかと心にプレッシャーがかかる事もあります)
今日迄頑張ってこられたのはお得意さんとの共存共栄であった様に思います。
今後も共存共栄の精神を忘れる事なく忠実でありたいと思います。

4回共、支離滅裂なブログでしたが第一回から第4回迄と無事ブログの完了となりました。
ブログ依頼された事は私にとっては、今はささやかな「責任感」の達成であったような気持ちです。
(ブログを書かれました会員の方々はいかがだったんでしょうか?書く事の大変好きで、長けた方もおられるでしょうが...)

最後に自然豊かでのどかな綾町へお越しになられましたら当店へも足を運んで下さい。
ありがとうございました。

CIMG2926(有)屋久杉の美秋工芸
代表者 那須 秋義

(有)屋久杉の美秋工芸の年間イベント情報

屋久杉との出合い そして本業へ

「綾の工芸」ご存知ですか

遊土

遊土

工房遊土

ウェブサイトURL:

2011年 8月 30日(火曜日) 09:00
おはようございます。

今、朝の5時半くらいです。
息子が寝ている早朝が
一番家事がはかどるのでだいたい5時前後に起きますが、今朝は4時に目が覚めたので 普段できない家事をひとしきり終える事ができました。
ご飯が炊ける間キッチンで飲むお茶は最高にうまいです。

今回で8月のブログは終わります。長い夏が終わりますね。といっても
宮崎はしばらく暑いですが。

陶芸から離れてもう二年になりました。正直、腕が鈍るのが不安ではありましたが、自分にとって、何が一番大切か 常に問いかけるとてもいいきっかけになりました。

何より、私の作るものをお金を出して買って頂いていた事に改めて感謝しました。
そして、無計画さゆえに仕事やお金に追われて、大切な人と人との信頼関係をおろそかにしていたという、事実にも気づかされました。
息子の存在が 私の背中を見ていると思うと
やはり背筋を正して生きて生きたいなあと思います。

そして何より、美しい物を作りたい。

それが自分の目標です。
つたない、しかも脈絡ない私の文章を読んで頂いて感謝します。
どうか 皆さんの日々のなかにも
幸せが散りばめられていることを祈って。

ありがとうございました(。・_・。)ノ☆☆☆

ひやじる

立秋過ぎましたね

芸術と私

朝焼け

2011年 7月 26日(火曜日) 09:00
台風が去ってからすっきりしない天気が続いていますがいかがお過ごしでしょうか?

今回はS様よりお預かりした材、黒柿についてお話したいと思います。
黒柿と言っても黒い柿の実が生るわけでは無く、極稀に木の幹に黒い杢が入っている珍しい柿木のことです。
この黒い杢が入るには古木でしかもいろいろな自然条件がそろわなければ出来ないらしく数万本に一本と言われています。

そんな幸運の柿木がお庭にあったS様の妹さんからご依頼を受けて去年造ったのがテレビ台とセンターテーブルです。
虫食いがあるものの自然が造りあげた黒い模様(杢)は素晴らしいです。
20110726132837



それともう一台、造った黒柿テーブルがあります。
こちらは知人の木工屋さんから譲っていただいて造った作品です。
黒い杢が芯の部分にはいっていたのを二枚合わせの左右対称で作品にしました。
このテーブルは手造り家具が大好きな熊本のT様のお宅でかわいがられています。
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残念ながら黒柿の材は手元に残っておらず作品もありません。
我々でもなかなか御目にかかれない黒柿、今度いつ会えるか楽しみです。

なでしこジャパン優勝

夏の虫

物造りのルーツ

もうひとつの顔

2011年 9月 08日(木曜日) 09:00
小林高校卒業と同時に日本で一番歴史のある東京の山谷硝子に入社して、
技能の習得のかたわら独学にて夜はデザイン、彫刻などの作家として独り立ちするための時間に明け暮れた。
その後、美術展に出展するかたわら山谷硝子の企業内作家として活動を強化。

単独の創作工房の必要性を感じるなか今から26年前、
歴史に残る28代薩摩藩主 島津斉彬公の業績として知られる薩摩切子復元のために、
当時の尚古集成館長の有馬氏と復元するまでの期間を契約条件として鹿児島に赴任することとなった。
薩摩切子復元を工芸部長として陣頭指揮をとり約2年間で一部を残し成功裏に新聞発表までこぎつけることとなった。

その当時、世の中は好景気を背景にした都道府県の自治体も特徴ある町づくりの為に力を注ぎガラス工芸へも注目していた。
私の行動も注目いただき全国4ヶ所から工房設立希望が相次いだ。

そんな中、宮崎県も動きだした。
当時、松形知事の薦める県の木花ハイテクパーク、綾町では前郷田町長から2ヶ所の候補地の提案、
雲海酒造の中島社長は今の酒泉の杜構想を熱く語られた。
松形知事は当時、宮崎山形屋の個展が12回続いていたこともあり宮崎にどうしてもガラスが必要と個展会場に来られては話されていた。

このようないろいろの声をいただき、工房設立の決め手になったことは、
綾町の食文化、有機栽培、照葉樹林に対する環境からの考え方、本物の物造りを生み出すエネルギーが
行政を含め綾の地に感じられることであった。
先に述べた宮崎県、綾町、雲海の考え方、宮崎県庁から30分以内の地であるという条件を満たす場所が綾町であった。

平成元年、今の酒泉の杜に私のガラス工房だけがスタート、
その後は水を得た魚のようにガラスと日本美、歴史、文化、伝統、風土、環境など今日、
憂える社会に日本人としての資質を問いかける作品を生み出して来ている。
人口7,600人の小さな町から世界のガラスの聖地ヴェネチアで展覧会の大成功。
日本の世直しとして、国際芸術文化交流として海外との交流を深める日本を代表する工房となり連日、
60名のガラス大好き人間の集団として頑張ってる。

建築アート

時を越え先人に学ぶこと

綾の照葉樹林の文化からの物創り ~現代の切子「綾切子」誕生~

綾から世界へ

奥次男

奥次男

綾町竹細工教室

ウェブサイトURL:

2011年 8月 05日(金曜日) 09:00
8月担当の綾町竹細工教室 代表 奥次男です。
今回は、新人竹細工教室と昨年の暮れに実施した研修旅行について書きたいと思います。
始めに新人竹細工講座について書きます。
23年度の竹細工教室は6月1日(水曜日)から始め、毎週水曜に実施しました。
8月3日で終了しました。
綾町の生涯教室は月に2回、年に10回となっておりますが、竹細工は次の回までの間隔が空きすぎると、
作った竹ひごが乾燥して、作品をうまく作る事が出来ない等の理由で、特別に承認して頂き月2回ではなく、
毎週水曜日に連続で10回、短期間で実施しました。

今年の竹細工教室の作品は、①よろづかご ②六目かご ③ざるめ編みかごの3点を竹割りから作らせました。
①よろづかご 2回
②六目かご 4回(金竹で1回 真竹で3回)
③ざる目編かご 4回(真竹で、長ひご つくりから)

竹割は、竹細工の基本であるので、徹底して指導しました。
生徒さんは竹割に大変苦労されたようです。
それはそうですよね。
竹割三年と言いますので無理もありません。
しかし幅揃器、厚み揃え器を使ってなんとか終了しました。

今年の生徒さんは、6人ですが6人とも手先が器用な人ばかりで熱心に取り組み、立派な作品を作る事が出来ました。
五十嵐先生、日高先生と僕の3人で指導しましたが、
生徒さんが自分の作った作品を見て喜ぶ姿を見ると今まで苦労した事も忘れほっとし、癒されています。
今後は、自主講座を希望される方のみ今まで習った作品を復習をし、
その後、新製品作りに励むことになりますが何人残るかが心配です。



竹細工教室は、本来後継者育成を目的に立ち上げた講座と聞いておりますが、
現在は一般の生涯教室と一緒になり、講師の先生の指導料も一日指導しながら半日分しか払ってもらえないという事もあり
講師の先生を依頼するのに困っております。
僕たちが竹細工教室に入ったころは、月2回で一年中指導料も出て翌年も継続して出来ていましたので助かっていました。

これでは後継者育成はできないと訴えているのですが中々、分かってはもらえません。
最近、僕も年齢のせいか、気力がなくもうこのへんで引退しようかな?とおもうこのごろです。
来週は鹿児島研修旅行についての感想文を書きます。

竹細工教室について

東諸の孟宗竹

楽しい竹細工教室 ―我々の三人の”先生”―

研修旅行について

佐藤拳男

佐藤拳男

ホルトノキ会長

ウェブサイトURL:

2011年 2月 06日(日曜日) 10:48

隣人の新進陶芸家K氏の活動に敬服しながら綾町コミュニテイの本格的な活動を期待

している者の一人です。綾町との出会いを振り返れば早や半世紀以上にも遡りましょうか、

戦後の経済復興を象徴する電源開発期に綾北ダム開発で町内の活性が最高期にあった

頃。九州山地脊梁の辺陬の地が俄かな人口増に遭遇し原始以来の風俗史が様わりして

いたころでした。

当時地元の金融機関にいた私はこの町の経済活動に対応する支店設置のために頻繁に

訪れていましたが日々住民の生活リズムがいわゆる「田舎らしさの美」を失っていくような

思いに駆られ虚しさを覚えていたものです。

あれから早や半世紀の歴史を経ました。今、この町のアーチストが本来の里の顔に戻り

大古に回帰しようとする息吹きに敬意や満腔の賛意を覚えてなりません。

そこで一つの提案ですが工芸と称するかぎりいわゆる「工」のジャンルには違いありません

が活字分野などにもレパートリーを解放したとえばレタリング専業の方たちの組織参加など

もいかがなものでしょう?