Home匠日記2011年2011年02月木曜:黒木国昭(グラスアート宮崎綾工房)
黒木国昭

黒木国昭

グラスアート黒木

ウェブサイトURL: http://www.glass-art-m.com/

綾町とガラスの接点

2011年 9月 08日(木曜日) 09:00
小林高校卒業と同時に日本で一番歴史のある東京の山谷硝子に入社して、
技能の習得のかたわら独学にて夜はデザイン、彫刻などの作家として独り立ちするための時間に明け暮れた。
その後、美術展に出展するかたわら山谷硝子の企業内作家として活動を強化。

単独の創作工房の必要性を感じるなか今から26年前、
歴史に残る28代薩摩藩主 島津斉彬公の業績として知られる薩摩切子復元のために、
当時の尚古集成館長の有馬氏と復元するまでの期間を契約条件として鹿児島に赴任することとなった。
薩摩切子復元を工芸部長として陣頭指揮をとり約2年間で一部を残し成功裏に新聞発表までこぎつけることとなった。

その当時、世の中は好景気を背景にした都道府県の自治体も特徴ある町づくりの為に力を注ぎガラス工芸へも注目していた。
私の行動も注目いただき全国4ヶ所から工房設立希望が相次いだ。

そんな中、宮崎県も動きだした。
当時、松形知事の薦める県の木花ハイテクパーク、綾町では前郷田町長から2ヶ所の候補地の提案、
雲海酒造の中島社長は今の酒泉の杜構想を熱く語られた。
松形知事は当時、宮崎山形屋の個展が12回続いていたこともあり宮崎にどうしてもガラスが必要と個展会場に来られては話されていた。

このようないろいろの声をいただき、工房設立の決め手になったことは、
綾町の食文化、有機栽培、照葉樹林に対する環境からの考え方、本物の物造りを生み出すエネルギーが
行政を含め綾の地に感じられることであった。
先に述べた宮崎県、綾町、雲海の考え方、宮崎県庁から30分以内の地であるという条件を満たす場所が綾町であった。

平成元年、今の酒泉の杜に私のガラス工房だけがスタート、
その後は水を得た魚のようにガラスと日本美、歴史、文化、伝統、風土、環境など今日、
憂える社会に日本人としての資質を問いかける作品を生み出して来ている。
人口7,600人の小さな町から世界のガラスの聖地ヴェネチアで展覧会の大成功。
日本の世直しとして、国際芸術文化交流として海外との交流を深める日本を代表する工房となり連日、
60名のガラス大好き人間の集団として頑張ってる。

建築アート

2011年 2月 24日(木曜日) 09:00

今の時代は昔のように100年、150年住める家はあまりみられなくなり、最近の住文化は変化してプレハブ素材、新建材中心の住宅へと移ってきました。
家の20年、30年の耐用年数からしてリニューアルや建て替えという大きな波が来ていると思います。

黒木国昭は、新しい時代の生活空間におけるアートとして、これまでのステンドグラス以外の選択肢を広げる「建築アート」を発表しました。
住空間への提案としてまたガラスのもつ可能性を更に広げるシリーズとして注目されています。
現在、全国から多くの問合せがあり、「窓」「ドア」「灯り取り」「間仕切り」「茶室」「ショールーム」「マイホーム」等々、様々なご注文、実績をつんでいます。

リニューアル、新築をお考えの節は是非お問合せ下さい。

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装飾ドア 浮き彫り「薔薇」

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装飾窓 浮き彫り 「深山に集う湖畔の鳥たち」

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灯り取り 「樹」

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装飾ドア 「綾切子」

時を越え先人に学ぶこと

2011年 2月 17日(木曜日) 09:00
今の世の中、混沌とした状況をどうとらえて物創りをして社会と向き合っていくか、先人に学ぶ事が多い。
アールヌーヴォーの旗手フランスのガラス工芸家エミール・ガレは私の長いガラス人生の中で、彼の生き方を通して今日の物創りに共通する強い精神を感じる。
彼は18世紀から19世紀初めまでにガラス界で大きな業績を残しガラスの歴史に多大な影響を与えた人である。
彼は、フランスのナンシー地方に生まれたがプロシアとフランスの間に普仏戦争が始まり身内、友人と多くの人を失った。
その悲しみ、怒り、苦しみをばねに作品創作に打ち込んだ。
作品はパリ万国博覧会に出品され、結果ガラス部門でグランプリを受賞して国際的な評価を得た。
今日の日本の現状はどうだろう?国のあらゆる政策が将来の安心、希望、夢を持てるとは言いがたい。
戦争こそ無い日本、しかしそれに近い社会のひずみ、いたみ、憂えることばかりである。
我々創り手は、今こそ現実を注視して「今」に気付き、自分の立ち位置を見出し、日本の歴史、文化、風土、伝統を継承していく事を真剣に取り組み「世直し」に立ち上がる時と感じる。


新世紀ロマン
ランプ「雪景色」

新世紀ロマン
創作器 「雪の下」

新世紀ロマン
花器「燕子花」

綾の照葉樹林の文化からの物創り ~現代の切子「綾切子」誕生~

2011年 2月 10日(木曜日) 09:00
綾町は、日本一の照葉樹林を誇る木の故郷です。
1997年に5年の歳月をかけ、鹿児島・薩摩切子の120年振りの復元を成し得た実績を活かし薩摩切子、
江戸切子とは趣を異にする「綾切子」の開発に成功しました。

「綾切子」は、木の葉、木の実、木の花、芽吹きをデザインに取り入れ、
「琥珀色」で古代からの「時」の流れを表し紫、藍、緑の色ガラスを被せ2色の「綾切子」が誕生しました。
大皿「綾切子」 2色被せ
大皿「綾切子」 2色被せ

「綾切子」は現在も進化を続け2色から3色へ。
更に複雑なグラデーションと繊細な輝きを放っています。
飾皿「綾切子」3色被せ
飾皿「綾切子」3色被せ
花器「綾切子」3色被せ
花器「綾切子」3色被せ






綾から世界へ

2011年 2月 03日(木曜日) 09:00

花器 金彩象嵌「光琳」綾から世界へ

7600人の小さな町から町おこし

物を創り出す事を生業(なりわい)としている者からしたら生きがいを持ち、又そのことが多くの人の支持を得て仕事を続けていけるとしたら一番の喜びであり幸せと思う。

私は常々、自分の生き方、考え方を、「分析」、「リサーチ」を心としている。

私の仕事としてのガラス工芸で、今何が世の中に役立つか、必要とされているか。それは、物質的なものもあり、精神的なものもある。


東海道五拾三次 花器「蒲原」今の日本、国際社会の中で若い世代の内向き思考、日本民族として受け継ぎ、継承していけない今の状況。日本の歴史、文化、装飾、伝統など日本人として理解、解釈できない状況は危機的なことである。日本人としての資質の低下など大変憂える問題ばかりである。

私は、ガラスと向き合い48年、半世紀近い時間を西洋のガラスと対峙しながら日本人としての感性を日本の美としてガラスと融合、進化させ日本人としての感性の鋭い作品を通して展覧会を重ね高い評価を得てきた。


opening先に展開された、ガラスによる日本の美の表現「琳派と広重 東海道五拾三次」の展開展、国内はNHK主催、文化庁後援により東京、大阪、名古屋、福岡、新潟、宮崎6ヶ所の巡回展、海外はイタリア外務省、日本外務省後援のもとイタリア国立ヴェネチア カ・ペーザロ博物館にて2ヶ月間のロングラン展を開催。その間ヨーロッパはもとより中近東、アメリカ、ロシアと世界の人々に95点もの大作を鑑賞していただき日本ガラスによる歴史、装飾文化、創作技法を示す事ができその反響は歴史に残る企画として高い評価を得、その情報は世界に伝播し成長著しく、アジア、台湾、中国へと広がっている。

私のこよなく思う「綾」は日本一の照葉樹林を持ち有機栽培、無農薬栽培を掲げる先進地であり、工芸品、物創りも大きな産業の町である。


Ca' Pesaro私たちが考えた企画は、東京、大阪という大都市からの発信ではない。小さな町から今を生きる作り手として何が出来るかである。

「分析」「リサーチ」を高め、世のひずみを直し、「夢」も「希望」も持てる町にしたい。小さい町からの挑戦も根底は文化の力である。世界のガラスの聖地に挑む心意気、何よりも自分の生き様を知り、熱く生きる想いの一点。

こんな熱い想いを持つ綾の黒木国昭の展覧会にご来場下さい。

http://www.glass-art-m.com

ガラス工芸作家

国の「現代の名工」

黒木国昭