Home匠日記2011年2011年03月綾の手紬染織工房綾の事始め(1)

綾の事始め(1)

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私がここ綾町に織物工房を構えたのは昭和41年11月の事でした。
西田等町政の助役を務めた、郷田實氏が新町長になった年でもありました。
その頃の綾町の工芸といえば、釣具店を兼ねた熊須碁盤店と俵竹刀店しか記憶にない。

その他、現在の商工会館にあった旧営林署の建物でビロー樹葉の民芸品を細々作っていたくらいかな?
宮崎からの県道も下北方町の今の大淀川学習館当たりまでしか舗装されていなかった。

当時宮崎県商工労働部主幹、黒木進氏の指導により、宮崎の新しい工芸産業興しの一翼を担うつもりの
意気込みで、今に思えば向こう見ずのような綾進出でもありました。
ただ単に手織物を創り出す工房ではなく、その当時「消費は美徳」との風潮に流されず、

人々の生活文化を見直そうとの理想を追い求めた、ある意味若気のエネルギーもあった気がします。

生活文化の工芸となると単種の物創りだけでなく、多様な物が必要となる。
「衣」の織物から始まり、次は「食」の道具・・・器の作り手がほしいなぁーとなってくる。
そこで焼き物の里福岡県小石原に目を付け、神戸出身の川村賢次氏(故人)を黒木氏
が説得して(と言うより半ば拉致状態で)綾に引っ張ってきた。
昭和46年だったと思う。

それから、北陸の山中漆器から呉藤氏、都城の関谷木工、宮崎の漆器や下川、山下両氏の木工所
なども加わり、総勢7工房にて「ひむか邑同人」として昭和48年発足した。
共同の理念に基づいた物創りに大いに燃え上がった頃でもありました。

翌年春には、物創りの環境に感謝し日本人の心を考えてみようとの理念から第一回のまつり
「まゆ祭り」を開催する事になり、多くの文化人や外国からの関心もあり、年中行事になっていった。
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その後この祭りは秋の勤労感謝の日に移動して、「綾工芸まつり」の源流となっていった。  (続き・・・・・
最終更新日: 2011年 5月 31日(火曜日) 09:40
秋山眞和

秋山眞和

綾の手紬染織工房
綾の工芸の先駆者が今までの綾、これからの綾を語ります。