Home匠日記2011年2011年03月綾の手紬染織工房綾の事始め(3)

綾の事始め(3)

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話しは前後するが、「ひむか邑」創立記念宮崎展の準備開始のかなり前から「邑の事務局」を
当「綾の手紬染織工房」内に設け、各工房との打合せや広報、展示会場との連絡場として忙しい日々を送っていた。

この事務局には幸いなことに県内外から、花田拓人君(福岡県宗像出身)日髙正一郎君(宮崎県南郷出身、現玄太工房主宰)など若く優秀な人材が集まり、急に決まった全国展開に対応していた。

邑人はいつも集まってはよく飲み、そして夜遅くまで工芸論を戦わしたものだった。
工芸の将来に対し誰もが明るさだけを見つめていた頃でもあった。
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(撮影:昭和49年)

全国展開に当たっては黒木進氏や井上信一氏の縁筋、人脈をフルに動員頂き、後援者には
田舎の小さな集団の展示会にしてはとても不釣り合いな中央の超一流人の布陣となった。

当時の「邑」の賛同者名簿を見ると 岩切章太郎(宮崎交通創業者)、茅誠司(元東大総長)、
小池岩太郎(GKデザイン創設デザイナー)、小池新二(元九州芸術工科大初代学長)、
宮沢喜一(元総理)、森永貞一郎(元日銀総裁)、瀬山誠五郎(元住友不動産会長)・・・・・等
錚々たる名が連なっている。
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さらにそれ以前から黒木氏は美校(現東京芸大)出身の輪を拡げて、柏崎栄助(デザイナー、福岡教育大教授)、加倉井秋を(建築家、俳人)、小池新二、の三先生をことあるごとに綾町の、まだ誰も気づいていない照葉の森に案内していた。(もちろん私はアッシー君)

森のエネルギーに触れての、各先生方の感動振りはその後の各々の著書に多く語っておられた。
その後大きな話題となった照葉樹林を守る郷田町長の宣言創案に、この先生方の考えが大きな影響をもたらしていただろう事は疑う余地もない。


綾の山中での邑人 (中央左)小池新二先生 (中央右)黒木進先生(撮影:昭和49年)
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綾の手紬染織工房でくつろぐ柏崎先生(中央)(撮影:昭和49年)
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加倉井先生からの発注で製織した宮崎観光ホテルホールの壁画作成風景(撮影:昭和48年)
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続く・・・・
最終更新日: 2011年 5月 31日(火曜日) 09:40
秋山眞和

秋山眞和

綾の手紬染織工房
綾の工芸の先駆者が今までの綾、これからの綾を語ります。