Home匠日記2011年2011年03月綾の手紬染織工房綾の事始め(4)

綾の事始め(4)

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昭和50年1月、地元宮崎での「ひむか邑」結成記念展を皮切りに 3月東京日本橋丸善本店
開催のあと、5月名古屋、6月京都、そして10月札幌と各丸善のギャラリーで巡回展を行っていった。
多士済々の賛同、後援者の広報力に加え、新しい工芸の将来像を引っ提げての若者達による工芸展はニュース性も大きく、
各会場とも連日大勢の来場者に邑人たちは昼食をとる暇もなかった事を覚えている。
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邑人の作品は陶器や木材などの重量な物が多く、札幌展にはトラックを仕立ててフェリーを乗り継いでの行程だった。
帰りは空になったトラックに北海道の産物を仕入れて、事務局費用補填の一部に当てようとの思惑もあった。
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左(川村賢次)陶器 右(秋山眞和)織

どの会場もデザイナー、教師、公務員など文化論を好む方々で連日その対応には苦労した。
だがその甲斐あってか放送新聞ほぼ全てのマスコミが取り上げてくれて「ひむか邑」の名は
作品のレベル以上に大きく知られるようになっていったと思う。
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単品の工芸展でなく、生活文化の供される多種な工芸品を揃えた各会場は注目されていて、
我らの主張に高い評価を示し、熱っぽい反応に期待は大きかった。

だが、活動資金を補う源の売上げは陶器を除き頭を抱える状態が続いた。
思想と現実との間隙、後々この代償は事務局運営に大きな足かせとなっていった。

事務局を努めた当工房は約一年間の全国行脚とその前の準備期間を加えすっかり体力を使い果たしていた。
昨今はこのような活動に補助金もつくようになっているが、まだその頃には行政の支援も受けていなかった
(ただ我々が知れなかっただけかも知れない)。



結果的に私にとっての一年間は文化催事以上ではなく、事務局もいつの間にかその役目を終えていた。
しかしその後、事務局を担当していた若者たちが独立して工房を興し「ひむか邑」の名を残しているのは頼もしいかぎりだ。
だが今にして考えてもあの戦争のような大騒ぎはやはり多くのものを残してくれたと思う。
あの時代であの若さであったからこそできた行動であって、その後の綾町工芸コミュニティー協議会
の発足に繋がっていった。

ひむか邑全国巡回展を知った宮崎県商工労働部が動き出したのである。
昭和52年頃から東京のラック計画研究所の前田豪氏を座長として綾町工芸コミュニティーの骨子を策定開始し
予算を組んで行政からの支援を本格的に考えてくれていた。

さて、ひむか邑設立時のメンバーを第一世代ともし仮定するとしたら、
綾町工芸コミュニティー協議会設立関わったのが第二世代、
そしてその構成メンバーのスタッフ(後に独立)が第三世代、
さらに近年綾町に魅力を感じ、技をもって物創りの場として選んだ方を第四世代とでも呼ばしてもらおう。
第二世代以降の話題は次の機会としたい。
最終更新日: 2011年 5月 31日(火曜日) 09:40
秋山眞和

秋山眞和

綾の手紬染織工房
綾の工芸の先駆者が今までの綾、これからの綾を語ります。