Home匠日記2011年2011年04月金曜:陶房八十一(興梠智一)陶房八十一第30回工芸まつりを振り返って その2

第30回工芸まつりを振り返って その2

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延べ10時間以上に及んだ「企画班」会議。
その内容はどうのようなものだったのでしょうか。

その前に。
この不況の中、特に我々個人経営の工芸作家は、ひと頃の工芸ブームが懐かしく語られ(もちろん私の世代以降はその恩恵もありませんが)、超氷河期を迎えています。 
しかし一方では空前の円高が進み、国内の消費者心理とのねじれ構造は解消されないままです。また国際的な金融不安も先行きは見えず、宮崎では口蹄疫や新燃岳の噴火の傷が癒えないまま、東日本大震災、福島原発事故が起こってしまいました。

いつから人びとは、手づくり工芸品を買わなくなったのでしょうか。

言うまでもなく、以前は手づくりのものしか市中にはありませんでした。しかし、明治以降の近代化から始まる日本の歴史によって大量消費社会が作られてきました。そのことによって、日本は国際的な競争力を得、人類史上まれに見る豊かで便利な生活を送れるようになってきました。
しかし、一方で犯罪の凶悪・低年齢化、自殺者の増加、成人病の増加、家庭崩壊等々の社会問題もクローズアップされることになります。

本来、家庭の中で日常的に使われる道具、これが手づくりのものから工場生産の無機質なものに変わっていったことと、我々の生活の困窮は無関係ではないのではないか。

それは単純に、より安いものを世間が求めた、という話ではないのかもしれない。
世間の「絆」あるいは「結いの心」が失われていった過程とそれは密接に関係しているのではないか。
経済効率優先の、大量消費社会の象徴とも言うべき工場での大量生産品が巷にあふれればあふれるほど、「絆」は失われていったのではないのか。 
そうであるならば、我々は作り手としてはどうだったのか。 安易に消費者のし好に迎合するだけで、結局のところそういった流れに任せていただけではないのか。ということは今の我々の現状は、自ら招いたものとも言える。作り手として守るべきものを守って来なかった結果ではないのか。

作り手としての守るべきもの。
それは工芸品が社会をつなぐパーツであること。家族を結びつける普段に使うまさしく道具であること。恋人の心を引きつけるものであること。
そういった力を我々は自分の作品に込めて来なかったのではないのか。 
そういったことを自ら考えもせず世間にも訴えて来なかったのではないのか。 これが現実だからと、目の前の経済を追いかけてばかりいたのではないのか。

最終更新日: 2012年 1月 16日(月曜日) 14:40
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やそいち

やそいち

陶芸家。独身42歳。

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