Home匠日記2011年2011年06月水曜:小川渉(パン工房綾)
小川渉

小川渉

パン工房 綾

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原発問題 その4

2011年 6月 29日(水曜日) 09:00
最終回は「フクシマ」直後の投書です。
直前が3月1日掲載(その3)で、3.11を経て3月30日掲載。
歴史の転換点となる特別な1ケ月でした。

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3月10日夜、あの日の前夜、私は串間にいました。
串間原発住民投票を控え、反対グループの勉強会に出前講師として出向いていました。
放射能の怖さ、原発立地しても財政破綻した実例(福島県双葉町=今回の事故発生地)、全原発を止めても電力供給に支障ないことなどなど、説得力を持つと思われる文献を私なりに集めた資料をベースにお話しました。

その場に、串間市在住で元GE(米・ゼネラルエレクトリック社)の技術者=菊地洋一さんがおられました。
素人の私としては、これ以上ない専門家の助言は大変有難いものでした。

菊地さんは、福島第一原発6号機(冷温停止中)建設の現場調整に当ったことで、危険極まりない裏事情を知り、原発を告発する側に回った稀有な人物です。勉強会の中で、地震の話に及び、菊地さんはマグニチュード9の可能性もあり原発はとても耐えられないと言われました。その翌日、M9は現実となりました。このことは、記録しておくべきエピソードです。

更に、菊地さんならではの話として、事故が起こらなくとも定期検査などで被曝労働が避けられないという非人間的なシステムについても、現場体験に基いて語ってもらいました。

「フクシマ」直後は、ついに起ってしまったという脱力感から、とても投書する気が起きませんでしたが、私たちがこの地で何をすべきかの考えに整理が付いた段階で発したのが上記投書です。

串間は当面、原発そのものの誘致は考えにくいですが、「地域振興=交付金」が目当てなので、高レベル放射性廃棄物処分場や使用済み核燃料中間貯蔵施設などの原発の後工程関連の誘致は視野に入れておく必要があります。いずれも危険極まりない代物であることが、福島第一4号機(使用済み燃料プール冷却機能喪失)でその一端を知ることになりました。これらを含め、「非核」を訴えました。

「フクシマ」の現実から、脱原発へ舵を切れるか否か。この国の将来を左右する大きな分岐点に私たちは立っています。

小川 渉(パン工房 綾)

原発問題 その3

2011年 6月 22日(水曜日) 09:00
「フクシマ」の惨劇に至るまでに、原発に関する弊投書・寄稿は既にご紹介した2件以外に
1998年からほぼ毎年、計40件を数えます。
大半は宮崎日日、あとは朝日、毎日、1件だけ南日本もありました。

他のテーマでは自然保護関連が多かったのですが、最多は原発です。
投書をする最大の理由は、新聞自身が書かないテーマ、書いても核心に迫らないケースなどを補足し、ささやかながら警鐘を鳴らせたらとの思いからです。

「フクシマ」を引き起こした要因の一つに、マスメディアの弱さ、劣化があると思っています。
新聞やTVが適確に問題を伝えてきたなら、地震列島の海岸に54基もの原発が林立することはなく、「フクシマ」も起こらなかったと考えています。

今回ご紹介するのは、「フクシマ」の直前の投書です。


4月の統一地方選に合わせ実施予定だった原発立地の是非を問う串間市住民投票が、その時の最重要テーマでした。
住民投票自体は民主主義、地方自治の本筋で正統な手段ですが、このケースは計画が表面化する前に誘致したい野辺市長が仕掛けてきた点で疑問視されていました。
投票権のない私たちは、外から串間市民に願いを伝えるしかない状況で、歯がゆい思いをしていました。中国電力上関原発が着工の重大局面を迎えていた時でもあり、地元紙には串間の行く末への警告の意を込めた報道をして欲しいとの願いで書いたものでした。残念ながら期待は外れましたが、「フクシマ」が一瞬にして串間住民投票を消し去りました。

小川 渉(パン工房 綾)

原発問題 その2

2011年 6月 15日(水曜日) 09:00
前回(6月8日付)、「次は本当の破局なのですが」で投稿をしめくくり「次」は絶対にあってはならないとの
意を込めたところでしたが、「フクシマ」の状況は情報が出れば出る程、深刻度を増しています。
「次」を待たず既に、少なくとも福島県東半分の住民にとって、「本当の破局」と言えそうです。

今回は、私たち地元の問題として、宮崎県の風上で稼働中の川内原発について話をします。
綾町との距離は丁度100㎞。敢えて言います、「わずか」100㎞と。
新燃岳噴煙の流れ、日々の天気の移ろひ(雲の流れ)で視覚的に分かるように、大気は基本的に西から東へ動いています。
風下が「ホットスポット」になり易いことは自明です。

その川内原発が、いかに危険な場所に立地しているかを2007年中越沖地震直後に指摘した投書を紹介します。


今回、川内原発は津波の想定が3.7mであることが明らかになり、上記の地盤の問題に加えて大きな不安材料となっています。
更に、運転開始から27年(1号機)、26年(2号機)経過し老朽化の問題もあります。

豊かな自然に恵まれ、農業を始めとした第一次産業を基盤とする宮崎県にとって「フクシマ」から学ぶならば、
まずは川内原発を停止し最大の危険因子を排除することを最優先にしなければと強く思っています。

小川 渉(パン工房綾)

原発問題

2011年 6月 08日(水曜日) 09:00
前回の担当時(2010年12月)は、工芸も食品も原点は自然であり、
綾でのそれは照葉樹林ということから、2010年の出来事の中から照葉樹林にまつわる話題にふれました。

その時から今日までの間、私たちの国は「3.11」という強烈なインパクトを受けました。
その前と後では様々な変化が見られ、人々の価値観の転換にまで及ぼうとしています。

従って、本文を書くに当たっても、そのことと無縁ではありえないと思っています。
特に、福島の「原発震災」については、破局的大惨事のリスクを常々感じ、
主に新聞投書という形で発言してきた立場から心を痛めています。

ということで、今月の4回シリーズでは、過去の弊投書の中から毎回1件ずつ取り上げ、今の状況を交えお話します。


私が原発問題に関心を持ったきっかけは、1997年に浮上した「綾の鉄塔問題」に遡ります。
九州電力が計画する超高圧送電線が照葉樹林に影響することを懸念して住民運動を立ち上げた時、
その元凶が木城町の小丸川揚水発電所にあり、揚水発電なる奇怪な仕組みが原発と深く関わっている事を知ったからです。
知れば知るほど、問題の根は深く、大きく、理不尽極まりないことが解りました。

上記は、破局に至る前に脱原発をとの趣旨の投書ですが、当時も東京電力の隠ぺい体質が問題になっていました。
脱原発は大事故が起きなければ達成されないとの悲観論が当時支配的で、
中には起きても推進は変わらないのではとの絶望的な見方もありました。
「3.11」を経た今、それでも推進や現状維持という絶望的な局面が続きかねない状況です。
次は本当の破局なのですが。

小川 渉(パン工房 綾)

シリーズ「照葉樹林この1年」 その4「ユネスコ・エコパーク誘致活動」

2010年 12月 30日(木曜日) 09:00
シリーズ最終回は、来年の申請に向け綾町が準備を進めている「ユネスコ・エコパーク」についてです。

ユネスコ・エコパークは、MAB(人間と生物圏)計画に基づき登録される生物圏保全地域の愛称です。
世界中で500ヶ所以上の登録地域があり、日本では4ヶ所が1981年に登録されて以来、新規はありません。
次期候補地として綾の呼び声が高いのは、照葉樹林を守り自然と共生する町づくりを進めてきた点にあるとされています。
同じユネスコの制度である「世界自然遺産」の保全の考え方に加え、自然を活用した地域づくりも評価対象になっているからです。 綾はMAB計画の理念を先取りした町づくりを進めてきたと言ってもいいでしょう。

10月に名古屋で開催されたCOP10(生物多様性条約締約国会議)に参加されたユネスコ関係者3名を綾町が招待し、森と町を視察してもらいました。
積極的な招致活動の一環です。国内MAB計画分科会トップの鈴木邦雄・横浜国立大学学長は「個人的には今申請しても何の問題もないと思う」と高く評価されました。
ユネスコ本部(パリ)からの2人も好印象を持たれたようです。

現在、綾の照葉樹林は九州中央山地国定公園(環境省)と森林生態系保護地域(林野庁)に指定されていますが、更に国際的な自然保護制度も加え大切な宝物をより強固に守ろうとするものです。2011年は「国際照葉樹林サミット」もあり「世界の照葉樹林」へ一歩を踏み出すことになります。
(パン工房綾・小川 渉)

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綾の照葉樹林、筆者のベストショット№2

シリーズ「照葉樹林この1年」 その3「綾の照葉樹林が全国一に選出」

2010年 12月 23日(木曜日) 09:00
2010年7月24日付『朝日新聞』に、全国の森のランキング特集記事が載りました。堂々の第1位は綾の照葉樹林。地元の人間として、関心を寄せる者として、実に嬉しいことでした。しかも、世界自然遺産の屋久島(2位)、白神山地(3位)、知床(6位)を従えているので尚更です。

選考委員の一人・池内紀氏(エッセイスト・ドイツ文学者)のコメントは綾町民への最大級の賛辞でした。
「地元でこれを残すのに尽力した人たちがいることを忘れてはならない。」
郷田實さんを始めとする先人の顔が浮かんできます。

今まで、綾の照葉樹林は全国屈指の森であることはそれなりに(広くと言いたいところですが)知られていましたが、ナンバーワンとなったのは、私の知る限り初めてです。
オンリーワンとの自負は常々持っていましたが。

私たちはとてつもない宝物を持っていることを改めて自覚することとなった一件であり、これを生かさない手はないと強く思うところです。
特に宮崎県は、口蹄疫のダメージから中々復興出来ない状況下、県の宝としての自然・そのシンボルたる綾の照葉樹林を全国にアピールしたらいいと考えています。
東国原知事は地鶏やマンゴーなど特産品のセールスは得意だったのですが、残念ながら自然には関心が薄かったようです。
次の知事にはこの点期待したいところです。
(パン工房綾・小川渉)
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綾の照葉樹林、筆者のベストショット

シリーズ「照葉樹林この1年」 その2「国際照葉樹林サミット計画」

2010年 12月 16日(木曜日) 09:52
それは囲炉裏ばたでの雑談の中からでした。
国際照葉樹林サミットの案が浮上した発端のことです。
2009年4月、町営宿泊施設・綾川荘の玄丹屋敷で行われた屋久島の自然保護団体との交流会の席。
その一角で、日本を代表する森林研究者が二人、火を囲んでいました。
大澤雅彦氏(東京大学大学院教授=当時)と湯本貴和氏(総合地球環境学研究所教授)です。
私は、この時とばかり以前より暖めていた”サミット”の話を切り出しました。
まずは大澤先生に、全国で照葉樹林が多く残っていて大切にしている自治体や団体が一堂に会する催しを綾で出来たら素晴らしいのだが、と振りました。
先生は賛同してくれました。
湯本先生からは「どうせなら、海外の照葉樹林帯の国々からも招待して”国際”にしたら」との提案をいただきました。
実現への具体化には、てるはの森の会事務局の石田達也氏、相馬美佐子氏の貢献大なるものがありました。
両先生も、ブータンや中国雲南省からのゲスト来日へ尽力いただきました。
実行委員会も重ね、計画が煮詰まり、マスメディアも取り上げてくれ、いよいよ開催日の2010年5月22日を迎えようとしていた矢先のこと。口蹄疫非常事態宣言が東国原知事から発せられたことで、「延期」とせざるを得なくなりました。
照葉樹林の価値を広く内外に発信する絶好の機会は一まずお預け。
準備に努力してきたスタッフの落胆は大きかったですが、前田穣町長のご厚意もあり、次へ希望をつなげられたことが救いでした。
仕切り直しの国際照葉樹林サミットは、2011年5月21日(土)に綾町文化ホールで開催されます。
ご期待ください。
パン工房綾 小川 渉

幻の国際照葉樹林サミット パンフレット
幻の国際照葉樹林サミットパンフレット

シリーズ「照葉樹林この1年」 その1「郷田實没後10年記念シンポジウム」

2010年 12月 09日(木曜日) 09:00
綾の照葉樹林が全国一の規模と質で現存しているのには訳があります。
物語といってもいいでしょう。
物語の主人公が郷田實(1918~2000)その人です。
1966年綾町長に就任した郷田さんが最初に直面した大きな問題が国有林の伐採計画でした。
精力的な読書を通じ照葉樹林の重要性に気づいた郷田さんは、町民の先頭に立ち国と掛け合って計画を止め森を守りました。
詳しくは、郷田さんの自著『結いの心』(評言社・2005年)の一読をすすめます。

郷田さん没後10年を記念しシンポジウムが命日の3月21日に綾町文化ホールで行われました。
町内外から250名が参加。
基調講演は生前の講演ビデオを編集したものでした。
迫力ある語り口がよみがえりました。
故人を知る人には懐かしく、初めて触れる人には語り継がれる理由が判ったのではないでしょうか。

紹介されたメッセージも特筆に値します。
照葉樹林に関わる各分野の第一人者の方々からのものです。
佐々木高明さん:照葉樹林文化研究
大澤雅彦さん:植物生態学研究
姉崎一馬さん:森林写真家

後半はパネルディスカッション。
パネラーは綾町の各分野で活躍されているメンバーが郷田さんとの思い出を中心に話されました。
有機農業の田渕民男さん、ガラス工芸の黒木国昭さん、元綾中学校長の浜田倫紀さん、照葉樹林研究の河野耕三さん、若者代表で商工会青年部長の松浦光宏さん。

今回の催しは、元々命日に故人を偲ぶ「照葉忌(しょうようき)」を毎年行ってきたところでしたが、10年の節目に拡大版として企画されたものでした。

照葉大吊橋照葉大吊橋は、郷田實さんの発案で多くの人に森を見てもらうことにより守る力になることを願って架けられたものでした。現在改修工事中で、2011年3月末にはリニューアルされることになっています。

パン工房綾 小川渉


原点は自然

2010年 12月 02日(木曜日) 00:00

pankoubou私は綾町に移住して15年、照葉樹林入口の上畑地区でパンを焼いています。
天然酵母を使い旨さと安全を両立させる「本物」を志向し続けています。

工芸も食品も原点は自然です。
幸い綾町には全国一を誇る照葉樹林が残され、この恩恵で私たちは生活させてもらっています。
その意味で照葉樹林を守り育てる営みを世代を超えて継承していくことも、大きな仕事だと思っています。

2005年に発足した官民共働の「綾の照葉樹林プロジェクト」に当初より関わり、森の保護・復元に少しでも貢献出来るよう心掛けてきました。
2010年も残り少なくなったこともあり、今年を振り返り、照葉樹林に関連する出来事をご紹介します。

予定は下記の通りです。

12/9  郷田實没後10年記念シンポジウム(3月)
12/16 国際照葉樹林サミット計画(5月)
12/23 綾の照葉樹林が全国一に選出(7月)
12/30 「ユネスコ・エコパーク」誘致活動(10月)

パン工房綾 小川 渉