Home工芸の歴史

手づくりの里 綾町が「工芸のまち」に至るあゆみ

手づくりの里 綾町の黎明期


古くから綾町では、豊かな森林資源を生かした木工品や碁盤、竹刀などの工芸品が生産されていました。しかしながら、その仕事に従事する人は、現在ほど多かったわけではありません。現在のように数々の工房が綾町に誕生するようになったのは、1960年代後半(昭和40年代初期)にまでさかのぼります。

運命の出会い


当時、宮崎市で琉球紬の工房を営んでいた現・「綾の手紬染織工房」の代表・秋山眞和さんは、新しい創作活動の場を探していました。そんな時、宮崎県庁の経済部にいた黒木進さんと出会います。東京美術学校(現・東京芸大)卒という県庁職員としては異色の経歴を持つ黒木さんは、後に「宮崎の工芸の生みの親」ともいわれる人物です。その黒木さんに誘われるように、秋山さんは綾町に実験的な染織工房を開きました。1966(昭和41)年のことでした。

手づくり工芸集団「ひむか邑」


himuka3昭和40年代、日本は、高度経済成長期の真っ只中。そんな時、黒木さんや秋山さんは、「過疎化が進む不便な農村で、昔ながらの手仕事を若い世代が大切にするのは逆に面白い。使い捨ての時代はやがて終わる。手づくりというものが貴重になる時代がくる。手づくりのムラ作りをしよう。」という思いのもと、工芸集団「ひむか邑(むら)」を立ち上げます。その理念は、意外にも東京などでいち早く取り上げられ、1975(昭和50)年に、東京・名古屋・京都・札幌で「ひむか邑結成記念展」が開催され好評を博しました。「ひむか邑」の構想に賛同し参加した人は300名余となっていました。

手づくり工芸家の「綾町工芸コミュニティ」の発足


kougei1980(昭和50)年、綾町は国の工芸コミュニティ事業(工芸を主体的に作る地域)のモデル地区として指定を受けました。この指定を受けたのは、静岡県掛川市と並んで、全国でわずか2地域だけでした。こうした動きに対し、古くから綾町に根付いていた工芸家と「ひむか邑」に参画した工芸家たちが、綾の名の下に結集し、1981(昭和56)年、「綾町工芸コミュニティ協議会」が発足しました。協議会には22の工房が参加しました。こうして動き出した「綾町工芸コミュニティ協議会」は、その成果を広く伝えるため、1982(昭和57)年、「第一回綾町工芸まつり(展)」を開催、現在まで続いています。

手づくりの里 綾町の「綾国際クラフトの城」


craftsiro1986(昭和61)年、綾城の敷地内に「綾国際クラフトの城」がオープンしました。 「手づくりの里・綾町」で育み守り継がれてきた伝統工芸という文化を国際的に広め、後世に繋いでゆくための施設です。 施設内では、この伝統工芸を多くの方に楽しんで頂くために、手作り工芸品の展示販売をはじめ、各工房の紹介や、一流の工芸士の指導のもと実際に工芸体験できる陶芸教室・手織り体験・染色教室が開かれています。

転載元:「綾の夢楽人」読本