手づくりの里 宮崎県綾 綾町工芸コミュニティ協議会 てるはの里の匠たち - てるはの里の匠たち
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2012年
2012年02月
月曜:有光信二(綾の手紬染織工房)
ゲスト:富永純子(綾ふれあい館)
2012年01月
月曜:興梠智一(陶房八十一)
火曜:川野紘造(グローバルヴィレッヂ綾)
水曜:熊須豊和(熊須碁盤店)
ゲスト:富永純子(綾ふれあい館)
2011年
2011年12月
窪田健司(照葉窯)
2011年11月
かたかべ雄人(ギャラリーうるし屋)
2011年10月
鈴木あかね(綾の手紬染織工房)
2011年09月
月曜:中島博之(銀色少年とアカイふらすこ)
火曜:川越順子(大山食品(株))
水曜:泰田久史(八衛門窯)
木曜:黒木国昭(グラスアート宮崎)
ゲスト:井手和昭(種子cafe)
2011年08月
月曜:岩崎龍稜(凌雲洞工房)
火曜:遊土(工房遊土)
水曜:内山篤(創-つくりや-屋)
木曜:川野紘造(グローバルヴィレッヂ綾)
金曜:奥次男(綾町竹細工教室)
ゲスト:井手和昭(種子cafe)
2011年07月
月曜:香川文徳(綾の食卓)
火曜:矢島章(木工房 波木道)
水曜:日高幸一(元町陶苑)
木曜:日高久美子(野々陶苑)
金曜:中島安宏(綾町商工会)
2011年06月
火曜:田中(綾の手紬染織工房)
水曜:小川渉(パン工房綾)
木曜:窪田健司(照葉窯)
金曜:相良大介(旅泊庵)
2011年05月
月曜:熊須豊和(熊須碁盤店)
火曜:岡田心平(綾の手紬染織工房)
水曜:日高正一郎(玄太染織工房)
金曜:須田理恵(綾豆本舗 須田商店)
2011年04月
月曜:アートフラワーきくち(菊池厚子)
火曜:銀色少年とアカイふらすこ(中島博之)
水曜:綾町工芸販売促進協議会(中島安宏)
木曜:綾の手紬染織工房(有光信二)
金曜:陶房八十一(興梠智一)
2011年03月
月曜:秋山眞和(綾の手紬染織工房)
火曜:川越純子(大山食品株式会社)
水曜:泰田久史(八衛門窯)
木曜:川野紘造(グローバルヴィレッヂ綾)
金曜:大原文雄(大原陶苑)
ゲスト:佐藤拳男(ホルトノキ代表)
2011年02月
月曜:那須秋義(屋久杉の美秋工芸)
火曜:遊土(工房遊土)
水曜:矢島章(木工房波木道)
木曜:黒木国昭(グラスアート宮崎綾工房)
金曜:奥次男(綾町竹細工教室)
ゲスト:佐藤拳男(ホルトノキ代表)
2011年01月
月曜:熊須豊和(熊須碁盤店)
火曜:猿渡真美(あゆの山水)
水曜:日高幸一(元町陶苑)
木曜:岩崎龍稜(凌雲洞工房)
金曜:中村照夫(ステンドグラス工房 沙羅)
ゲスト:佐藤拳男(ホルトノキ代表)
2010年
2010年12月
月曜:梅戸祥代(工房夢とけい)
水曜:中村博(綾城焼)
木曜:小川渉(パン工房綾)
金曜:相良大介(旅泊庵)
ゲスト:高好加代子(綾わくわくファーム)
2010年11月
月曜:須田理恵(綾豆本舗 須田商店)
火曜:田中(綾の手紬染織工房)
水曜:日高正一郎(玄太染織工房)
木曜:日高久美子(野々陶苑)
金曜:吉村満(ウッド・プロ綾杢)
ゲスト:高好加代子(綾わくわくファーム)
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日本の漆芸は、技法的に多様で高度に発達しました。海外では、漆器はjapanと呼ばれています。
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「毎日使ってもらいたいから」塗っては磨き、磨いては塗るを繰り返す。丈夫がとりえの漆器です。
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乗馬体験できます
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吉野牧場 当工房のお隣さんです。 先日、同級生が延岡から家族連れで遊びに来てくれました。 一通り、ろくろを見物 […] 乗馬体験できますは陶遊自在〜陶房八十一で公開された投稿です。
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陶遊自在〜陶房八十一
Created on:
19 Feb 2019 | 11:05 am
陶遊自在〜陶房八十一
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19 Feb 2019 | 11:05 am
初釜
初釜
19日土曜日は、土持社中の初釜でした。 ここ3年程、お休みさせていただいていたのですが、せっかく10年以上も続 […] 初釜は陶遊自在〜陶房八十一で公開された投稿です。
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陶遊自在〜陶房八十一
Created on:
20 Jan 2019 | 11:13 am
陶遊自在〜陶房八十一
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20 Jan 2019 | 11:13 am
新年明けましておめでとうございます。
新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。 今年も元旦はまったくの快晴。立派な初日の出を拝めました。そのあとは恒例の綾神 […] 新年明けましておめでとうございます。は陶遊自在〜陶房八十一で公開された投稿です。
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陶遊自在〜陶房八十一
Created on:
8 Jan 2019 | 11:49 am
陶遊自在〜陶房八十一
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8 Jan 2019 | 11:49 am
(注意:架空のツアーです)えびのアウトドアステーション〜湧水町〜お茶畑〜霧島温泉郷〜えびの高原荘(宿泊)〜トレッキング他〜えびのOS
(注意:架空のツアーです)えびのアウトドアステーション〜湧水町〜お茶畑〜霧島温泉郷〜えびの高原荘(宿泊)〜トレッキング他〜えびのOS
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カリスマ案内人と行く綾旅
Created on:
17 Sep 2018 | 2:14 pm
カリスマ案内人と行く綾旅
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17 Sep 2018 | 2:14 pm
綾(広沢ダム)〜奈佐木峠〜綾南川ツーリング
綾(広沢ダム)〜奈佐木峠〜綾南川ツーリング
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カリスマ案内人と行く綾旅
Created on:
14 May 2018 | 8:17 pm
カリスマ案内人と行く綾旅
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14 May 2018 | 8:17 pm
12月に入り
12月に入り
知り合いの方からこういうものを作ってみたと連絡がありました。。榧の木のジグソーパズルです。。 これぐらいの大きさだそうです。。 あべたもつさんの作品です。これは、ありがとうございますという文字でかかれています。。大きさは1m20センチぐらいでしょうか?まあ根気のいる仕事です。。。。これを進化させると この犬の絵もありがとうございます。という文字で出来ています。。これは大きさは色紙ぐらいです。。芸術ですね。。お知らせがあります。。セールを12月27日までと言っていましたが、、はっきり言って盤作りがうまくいっていません、。60周年記念ということで色々な盤をお見せしたいとみんな頑張っています。。それでも追い付いていません。。手仕事ですので時間も確かにかかるのですが、、それで1月末まで期間を延長いたします。。色々作ってみたいものもありますし、、もう一つ連絡があります。碁盤関連商品ですが、、セール期間終了後、、中国市場を視野に入れ、値上げします勝手なお知らせばかりで申し訳ありませんがよろしくおねがいいたします。 熊須碁盤店 熊須豊和
Source:
熊須碁盤店 今日この頃
Created on:
1 Dec 2015 | 8:47 pm
熊須碁盤店 今日この頃
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1 Dec 2015 | 8:47 pm
祝60周年1
祝60周年1
昔の写真をおもいがけずに入手しました。。5年前のものです。。1台のトラックによくこれだけ詰めるものだと感心しました。一番右は桑の木です。 都城の市場です。。隣の方が木が年年ちいさくなるなーと言っていたのを思い出します けやきです。後ろの弟が一番右にいますが身長が185センチありますので大変大きな木です。。 全体、前にならえ。。間隔までそろっています。。 昔の宮崎の市場です。。多くの碁盤屋さんや、木材を扱う方が榧を求めてやってきました。。 すごいですよね。。榧の木が一番高かったころかもしれません。。 購入した榧の木です。。 若い時の父と大山康晴先生です。。父の笑顔が印象的です。。また載せますね。。
Source:
熊須碁盤店 今日この頃
Created on:
25 Nov 2015 | 9:50 pm
熊須碁盤店 今日この頃
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25 Nov 2015 | 9:50 pm
祝工芸祭り開催
祝工芸祭り開催
今年も工芸まつりが始まりました。金曜日の平日とあってお客さんの入りは少なかったです 広い会場を目いっぱい使っての展示会はなかなか見ごたえがあります。 今年は、こんな感じです。。 何やらにぎやかな音が 綾町と姉妹都市の韓国ちんあんぐんの民族舞踊だそうです。。。 悪い菌、邪気を追い払うらしく縁起のいい踊り子達です。父も手拍子をしています。。ただ、僕は、昨日の野球の結果が頭にあって、手拍子出来ませんでした。。他の工芸者もそういう方が多かったです(笑)すいません。。せっかく踊ってもらったのに、、 いっぱい売れるといいですね。来週から、少しづつ柾盤が登場します。。にぎやかになるぞ。。
Source:
熊須碁盤店 今日この頃
Created on:
20 Nov 2015 | 9:24 pm
熊須碁盤店 今日この頃
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20 Nov 2015 | 9:24 pm
多古羅林道ツーリング
多古羅林道ツーリング
Source:
カリスマ案内人と行く綾旅
Created on:
27 Oct 2014 | 3:51 pm
カリスマ案内人と行く綾旅
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27 Oct 2014 | 3:51 pm
ロータリアン ロータリーの魅力を語る 第280回 水居 徹君 (宮崎RC)
ロータリアン ロータリーの魅力を語る 第280回 水居 徹君 (宮崎RC)
【自己紹介をお願いします。】 宮崎ロータリークラブの水居です。 宮崎ロータリークラブには15年前に入会しました。当時はロータリー自体がよくわからず、仕事の関係もあって3年目は東京にいることが多く、ホームクラブはほとんど欠席でした。そのままやめようと思ったのですが、先輩から、東京で新たに入れば、ということで、商会をいただき東京西ロータリークラブに入会しました。 東京西クラブは160名を超える大きなクラブで、有名な会社、立派な業歴を誇る会社などそうそうたるメンバーばかりで圧倒されるような気持になりました。当時のロータリー情報の方が、「だまされたと思ってまず100%出席してみて、必ずロータリーのよさがわかるから」と言われ、実際それを実践しました。 するとなんとなく毎週の例会が楽しくなってきました。例会中にいろいろな方に話をしていただき、正直、勉強になりました。 3年間無欠席でしたが、今度は宮崎での仕事が忙しくなり、宮崎クラブに再入会することになりました。たまに東京西クラブにメーキャップしますが、今でも「おお、宮崎から来たの?」と多くの方に声をかけていただきます。 宮崎クラブに再入会し、職業の関係で雑誌やIT関係の委員をすることが多くなり、6年前から地区の委員としてもお仕事をさせていただいております。 現在は地区の公共イメージ部門長を拝命し2年目となります。 【これまでの経験からロータリーの魅力とはなんでしょうか?】 ひとつは多くの素晴らしい方と出会えることでしょうね。同じクラブはもちろん、分区や地区、そして全国のロータリアンと知り合えます。 メーキャップはすばらしい仕組みだと思います。ロータリーが初対面の垣根を取ってくれているので、隣にいる方と気軽に話ができます。 ソウルや米国でもメーキャップしましたが、一定の敬意をもって接していただけますし、関心を持ってくれるので、楽しい経験となります。 それから友情が深まるということがあります。たとえば同じクラブで委員会活動をしていると、ただ遊ぶのではなく、一定の仕事を分担して遂行していきますから、遊び仲間ではなく、同僚というか極端な言い方をすれば戦友のような気がするのです。
Source:
よだきんぼのダレヤミ
Created on:
27 Jul 2013 | 9:49 am
よだきんぼのダレヤミ
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27 Jul 2013 | 9:49 am
復活です!
復活です!
約二ヶ月半のご無沙汰でした。 やっとブログを書き込まれるようになりまいた。 そして9月1日から全てを一新し、ブログもホームページも下記のように 変更します。 入り口の ayasilk.com は変わりません。 どうぞよろしく。 URLは一部準備中ですが、追々充実させてまいります。私のブログも9月からは ここからお入り下さい。 http://east.tegelog.jp/index.php?catid=879&blogid=99 さてこのブログからの最後の写真は天蚕です。 白い蚕が終わったら、緑色の天蚕を養いました。 どうです綺麗な色でしょう。null null イヤー失礼しました、虫の苦手な方もいらっしゃるのに。m(_ _)m 同じ場所で繭を掛けるとこの様になります。 null このような繭でハイブリッドの細い糸を手引きし、 null 羽衣の布を織り上げます。 null 次回からは新しいブログでお待ちしています。 ハンドルネームもダレヤミから theyodakinbo(ザヨダキンボ)に変更です。
Source:
よだきんぼのダレヤミ
Created on:
30 Aug 2011 | 8:32 pm
よだきんぼのダレヤミ
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30 Aug 2011 | 8:32 pm
祖父の話 1
祖父の話 1
2年前に下記を書いたが中断していた。改めて書きためようと思う。 祖父が亡くなってずいぶんと時間が経った。祖父を知っている人も年々亡くなっている。 まずは自分の記憶を書き留めそれを祖父を知る人たちに確認しながらまとめてみたいと考えている。 -------------------------------------------------------------------------------- 私の家は明治の初めに徳島県より移住している。 曾祖父曾祖母は子供がいなくて、祖父と祖母は養子養女である。 したがって、血のつながりは絶えていると思う。 祖父は高岡出身の奥野家より養子できているが、正確な年齢がわからないとよく言われていた。昔の戸籍はそういうものだったらしい。 先祖は鶴之島というところで人夫をしていたらしい。後、江平に住んだとのこと。 当時山之口といわれていた、神宮西(現在の実家のあるところ)にその後、越してきた。 小作人をやっていて、祖父の亡くなる頃の日記に、小作人のつらさやるせなさをしるしたものがあったが、苦労をしていたようだ。 曾祖父曾祖母とも介護が必要な状態になり、苦労はさらに重いものになった。 祖母も曾祖父母の面倒を見ながら農作業を手伝うという日々だったらしい。 そのせいか長女である母親の兄が2名ほどいたようだが、生きては生まれなかったようだ。 母の下に千恵子という妹がいたが、終戦間際に肺炎となり、薬がないために死んでしまったという。 祖父は徴兵され、中国大陸に出征。遠くは重慶まで行ったようだ。戦後も2年程度抑留され、戻ってきたのは昭和23年頃だったらしい。ようやくたどりついた我が家に戻ると、次女はすでに死んでいた。祖父は次女のためにどこで入手したのか人形をぶらさげていたという。祖母は土下座して謝った。祖父は涙を見せながらも、祖母を気遣った。 祖父はとにかく働いた。空いた時間を見つけて自転車で野菜を売りに行った。農閑期には馬車で木材を運んだ。 農地改革(農地解放)により祖父は小作人から自作農となった。 祖父は江平の空き家を買い求め、移設をしていた。その家の居間には畳半分くらいの囲炉裏があり、そこで祖父母は食事をしていた。 農地改革のために市役所の人間が測量などをやっていたときく。その頃の事情だろうが、祖父の家に泊って周囲を測量していたようだ。毎日の作業にはそれが効率的でよかったのかもしれない。 夜はこの囲炉裏で焼酎などを酌み交わしていたようだ。そこで、「水居さん、ここは角地になるからいいわ、買うた方がよい」と言われたそうだ。インサイダー的な話かもしれないが、そこで祖父は「無尽」、今の宮崎太陽銀行から金を借り購入した。 また、現金収入のために下宿をしていて、近くにある宮崎大学の学生が数名住んでいた。風呂は供用させていて、風呂上がりの学生が祖父と囲炉裏で焼酎を酌み交わすことも多かったらしい。そこで、花の話が出る。農学部の学生が花の先生を紹介し、先生も焼酎片手に囲炉裏に来たらしい。官舎もすぐそばにあったせいもある。 生花のビジネスについて聞いたようだ。種をもらったり、指導をしてもらったりで花の生産がはじまる。最初のうまくいった花はフリージアだと聞く。 いろいろとトライし、出荷できるようになった。北九州に貨車に載せて出荷するのだが、残念ながら熱とかエチレン(塗料から出る)により半分以上腐っていたらしい。 祖父は宮崎に花市場の必要性を感じていた。生産者、小売店ともに同様だったようで、都城で花市場をしていた小倉道男さんにお願いをして共同で設立した。小倉花市場のちの宮崎中央花きである。小さい時によく祖父に連れられて行った。祖父は晩年市場に出かけていた。黄門さんと呼ばれ若い人たちにも可愛がってもらっていたようだ。 祖父は野菜、米、花と作っていた。祖母と二人で黙々と働いていたという印象がある。母は妹が亡くなったため、一人娘であった。祖父は母を宮崎大学付属小学校に入学させた。今でも選抜のある付属小学校は一種ステータスがあるが、当時町家の子弟ばかりの付属小に農家の子が入るのは珍しかったらしい。祖父にどこか一種コンプレックスがあったのかもしれない。母は付属中学校、宮崎大宮高校と進む。高校は商業科(後の宮崎商業高校)だったようだ。高校では体操部に属し、その写真が残っている。卒業後は農協や山形屋で働いていたようだ。 父は都城市の隣の三股町の出身。2人の姉、1人の兄、2人の妹、1人の弟がいた。さらに一番上に異母姉がいる。農家であったが、没落していて苦しい家計だったと聞く。 宮崎県立都城都島高等学校(後の都城農業高校)卒業後、久留米の農業試験場を経て宮崎に戻る。農協を中心に就職活動をしていたがままならず、その時期に知人を通じて母と見合いすることになる。見合い後、毎朝父は水居の家に来て便所の糞尿を汲み取り、畑にまくなどをしていたらしい。祖父はそこを気にいって結婚ということになったようだ。祖父は父をまず養子とした。相続対策だったのかもしれない。そのうえで母と結婚させた。 当時の父の日記にそのあたりの苦悩の記述があった。萩原(旧姓)家の再興を果たさないといけないから自分はあえて萩原の名前を捨てる、とあった。 父は、なんとか延岡市の東延岡農協に就職が決まり、延岡市出北(いできた)町に引っ越す。新婚の新居は東延岡農協の官舎であった。2Kだったの平屋だったと記憶している。トイレが入口の土間から奥に入ったところにあり、小用が4つくらい、個室が2つくらいあった。ここは農協の事務所のトイレでもあった。母には見知らぬ男性がどかどかと入ってくるのは耐えられなかったらしい。いつも土間の障子がぴっちりとしまっていたのが記憶にある。 下に弟が二人生まれ、私は宮崎の祖父母に預けられた。実家から遠く離れて、0歳、2歳、4歳の男の子3人は経済的にも物理的にも母の手に負えなかったのだろう。 そのおかげで私は祖父に大きな影響をうけることとなる。
Source:
よだきんぼのダレヤミ
Created on:
30 Jul 2011 | 10:19 am
よだきんぼのダレヤミ
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30 Jul 2011 | 10:19 am